丘の街・多摩さんぽ〜TAMA SAMPO「耳をすませば」「あらいぐまラスカル」ジブリの故郷&パワースポット

開運!東京&多摩丘陵の情報・パワースポット&歴史&グルメを多摩市地元民スピリチュアルカウンセラーが紹介!

日本一長い遊歩道は万葉の時代から続く「多摩よこやまの道」新選組も歩いた!?

初日の出を拝むために、地元民は「多摩よこやまの道」まで出かけた方も多いかもしれません。

日の出スポットも多数ある、眺めの良い尾根上の古道です。

日本一長い!新選組も歩いた?!多摩よこやまの道

「よこやまの道」キャッチコピー

「フルマラソンレベル!日本一長い遊歩道」
「新選組も歩いた!?多摩よこやまの道」

万葉の時代から続く眺めの良い古道が、残されています。

名前の由来「多摩の横山」

多摩丘陵は多摩川対岸の武蔵の国府(府中)から眺めると横に長く連なる山々=「多摩の横山」

夕暮れ時にシルエットとして浮かぶその美しい姿は、万葉時代の人々から「多摩の横山」、「眉引き山」などとも呼ばれていたという記録が残っています。

「赤駒を山野に放し捕りかにて 多摩の横山徒歩ゆか遣らむ」

宇遅部黒女(万葉集 20巻4417)

この万葉集は

「赤駒を山野の中に放牧して捕らえられず、夫に多摩の横山を歩かせてしまうのだろうか」

という防人の妻の心づくしの歌です。(出展:講談社「萬葉集 - 全訳注 原文付 -」)

東国から遠く北九州・太宰府で国防の兵役につく防人は、再び故郷の土を踏むことはほとんどありませんでした。武蔵野を眺望できる横山の尾根道で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ防人の姿が浮かんできます。

『よこやまの道』はこの万葉集の[横山]から名づけられました。

尾根筋の上にある古道

古道があるのは多摩丘陵の尾根筋の上、この尾根筋は古代の幹線道路が通っていたルートと言われています。

古代には水はけよく、また左右の見通しが良いために敵や山賊の接近を察知しやすいという理由で尾根筋の上をルートとしていたとのこと。

歴史文化の道~多摩ニュータウンの尾根筋~

「よこやまの道」の位置する尾根筋は、古代より武蔵野と相模野の双方を眺められる高台として、また西国と東国を結ぶさまざまな交通の要衝として活用されてきました。
この尾根筋には、鎌倉古道(鎌倉街道早ノ道、鎌倉街道上ノ道、(仮称)軍事戦略鎌倉道)や奥州古道、奥州廃道、古代の東海道、などの重要な歴史街道(古街道)が縦走、横断し、その痕跡やさまざまな伝説等が語り継がれています。

古代から中世~江戸時代にわたって政治、軍事、文化、産業、社寺・霊地参詣などを目的として、東国-西国間の交易を行なう商人や鎌倉武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人、新選組が行き来したと推測され、歴史とロマンを感じることのできる道となっています。

(UR都市機構)

「多摩よこやまの道」案内

散策道上あちこちにあるにある看板、PDF版もあります。

drive.google.com

「多摩よこやまの道」ルート

大きく分けると、3つのエリアに分かれます。

  1. 若葉台駅から「防人見返りの峠」まで
  2. 「防人見返りの峠」から一本杉公園まで
  3. 一本杉公園から唐木田配水所まで

防人見返りの峠(多摩丘陵パノラマの丘)

おそらく一番眺めが良く有名な場所がここ「防人見返りの峠」です。

(命名は「歴史古道団」代表 宮田太郎氏)

 

目の前にはニュータウンが広がり、丹沢から奥多摩・狭山丘陵も見渡せるパノラマ展望

(この日、富士山は雲に隠れてしまう)

 

東西に伸びる弓なりの尾根道

この尾根の高台は、東西(左右)に伸びる多摩丘陵の長大な尾根の上にあり、その全体が弓なりになっているのが見えます。

この尾根は、西は町田市相原町を経て相模原市城山町の城山湖にある後方高台の「三沢峠」、東は多摩川に面した多摩市道光寺向ノ岡まで通じています。合わせて全長
約24kmの尾根となり「多摩丘陵の背骨」とも呼ばれています。

 

富士山や丹沢・秩父連峰の山並み、狭山丘陵も見られる丘

この丘は標高約145mで、南西〜北来にひらけた展望ポイントです。

西は夕景が美しく、富士山や丹沢・秩父連峰の山並み、北西方向には多摩川や浅川に面した七生丘陵、広大な武蔵野の向こうには遠く狭山丘陵も発望できます。

ここから見る風景は、太古以来の先入たちも繰り返し眺めてきたことでしょう。

多摩ニュータウンの建設に伴い、約1千カ所の運跡発掘が行われました。現代のニュータウンの下に、はるか昔、縄文時代のニュータウンが存在したことがわかったともいわれています。

歴史ある豊かな農村から新しい街へ - 多摩川とその支流の思恵に育まれ、大地と接してきた人々により永々と暮らしが営まれてきました。

今、その穏やかな風景がよみがえってきます。

歴史監修 宮田太郎

万葉時代・防人たちの姿を思う 

万葉のロマン「防人・見返りの峠道」

万葉歌では望郷や別れを惜しむ道筋として「多摩の横山」が詠われています。古代、国防警備の目的で北九州に配置された防人という兵士たちは東国から陸路で都へ、さらに難波津(現在の大阪府の海岸)から船で瀬戸内海を通り九州へ向かいました。再び生きては戻れない覚悟の彼らが、この「多摩よこやまの道」の尾根で故郷を振り返りながら、家族との別れを惜しんだ姿が浮かんできます。

(「多摩よこやまの道」案内から)

南多摩尾根幹線道路からも、直接この峠に登る階段があります。

永山駅から徒歩で直接来られる場合に、利用できます。

「諏訪ヶ岳」と「防人見返りの峠」の途中の里山

多摩丘陵~里山の自然

 「多摩よこやまの道」の尾根道は暮らしの道でもありました。農林業が生活の中心だった時代には、多摩丘陵一帯に田園風景が広がっていました。「多摩よこやまの道」には多摩の農村風景が所々に残されています。多摩丘陵の南側(町田市、川崎市)、北側(多摩市、八王子市)の両岸を眺めながら、尾根沿いに残された里山ともふれあえる道です。

「多摩よこやまの道」詳細

東京都多摩市の南縁を東西に結ぶ遊歩道(10km)

南多摩尾根幹線のすぐ南を走る多摩丘陵の尾根筋の上

最寄り駅:
 唐木田駅から徒歩約10分
 多摩センター駅から徒歩約35分
 永山駅から徒歩約35分

駐車場:
 無

多摩市役所サイト(案内・パンフレットPDF版)

www.city.tama.lg.jp

UR都市機構サイト(パンフレットPDF版)

www.ur-net.go.jp