日本一駅から近い縄文ストーンサークル「田端環状積石遺構」(東京都指定史跡・東京都町田市)
京王線多摩境駅徒歩5分縄文ストーンサークル「田端環状積石遺構」
「田端環状積石遺構」とは?
1968年、畑を耕作中に偶然発見された、縄文時代後期から晩期(約3500年から2800年前)の墓地・祭祀場です。30基の墓からなる集団墓地が形成された後、その上に9×7メートルの環状積石遺構(ストーンサークル)が作られました。
現在は実物を埋め戻して保存し、その上にレプリカで遺構を復元しています。
京王相模原線多摩境駅から徒歩5分、日本で最も駅から近く、また都内では唯一見学できる縄文時代のストーンサークルです。
この遺跡からは、境川対岸の相模原台地、そのはるか後方の丹沢山地や富士山も見渡すことができ、また冬至の日没時には丹沢山地の蛭ヶ岳山頂部に太陽が沈む様子が見られます。
(東京都町田市)
ストーンサークルはよくできたレプリカ
こちらのストーンサークルはよくできたレプリカですが、実物はこの下に埋められています。
本物も一部手に取れるようになっていましたが、不届き者が持ち去ってしまうというお話で…しっかりとチェーンがついていました。
ストーンサークル 発掘当時の様子(1968年)
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構
所在 町田市小山町3112-2.3113-2.4.3114-1.3115-1.3116
指定日 1971年(昭和46年)3月30日ここでは史跡内の主要な遺構である現状積石遺構について説明をする。
縄文時代後期中頃から晩期中頃(約3,900~2,800年前)にいたるまで連続的に構築された遺構で、大小の自然礫を帯状に積上げ、長軸(東西)約9メートル、短格(南北)約7メートルの楕円形を呈し、ほぼ長軸上に富士山を望む。
また冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽を観測できる。積石の周囲には周石墓7基、土豪墓2 5基、組石6基がある。
積石の内部からは岩棒、刻線文石、大珠、玉類、土偶、耳飾、スタンプ形土偶品、注口土器、埋甕など日常用具以外の特殊な遺物が多数発見されており、本地域一帯に居住する集団の宗教的な場であったと考えられる。2015年(平成27年)3月設置 町田市教育委員会
冬至の日没〜丹沢山地の蛭ヶ岳山頂部に日が沈む 2022年12月21日
2022年12月21日 歴史古道団の歴史散策に参加
「古代レイラインを感じる冬至」
集落のあった場所まで広く残されている
一番奥にストーンサークル
ストーンサークルから南西に見える丹沢山地、富士山を望む
東京都指定史跡 町田市田端環状積石遺構
田端環状積石遺構は、田端・田端東遺跡の中に含まれる史跡で縄文時代中期から晩期(約5,000〜2,800年前)にかけての集落、墓地、祭祀場から構成される。
周辺の田端東遺跡(南東に隣接する多摩ニュータウン通り)、多摩ニュータウNo.246
造跡(現小山白山公園)などとともに広域の近跡群を構成している。ここでは史跡全体について説明をする。
中期には居住城として利用され、竪穴住居7軒、配石2基が発見された。
後期には南北22mx東西10mの範囲に集団基地が形成され、50基以上の墓壕が分布すると推定される。墓地上に構築された後期から晩期の環状積石遺構は周辺に居住する集団が死と再生に関連する祭祀を行った場として想定され、当時の精神文化をうかがう上て貴重な遺構である。
南西に見える丹沢山地、富士山の眺望は遺跡の選地に関連すると考えられ、冬至には蛭ヶ岳山頂に沈む夕陽が観測できる。
現在は環状積石遺構1基、周石墓7基、土壕墓31基、組石6基、竪穴住居跡7軒、配石2基が盛士保存され、環状積石遺構上の同位置には1968年(昭和43年)発掘時の様子に複元された複製が展示されている。
2015年(平成27年)3月 町田市教育委員会
「田端環状積石遺構」詳細
所在地
町田市小山町3112-2他
見学
無料、随時
アクセス
京王線多摩境駅から多摩ニュータウン通りを町田街道方面に歩いて約5分
通り沿いで進行方向に向かって右手